沖縄の人たちの「性」の価値観に関して思うこと

先日「沖縄の若者がデモに参加しないのは、失職等を恐れているから」とつぶやいたのですが、そう単純ではないかもしれないと思いなおしたので、またつぶやきます。先の元米軍人による強姦致死事件、私の感覚では、今回は沖縄の男性はさほど騒いでいるようには見えなかったですが、それは米軍人と結婚した裏切り者の日本人女性の存在があるのではないかと思います。

沖縄はもともと女性優位な社会と思われますので、男性はおとなしいのかもしれません。だから日本人女性が遠因になっている問題については強く抗議できないかもしれません。あるいは、内側に何かをため込んでずっと耐えているのか。。したたかに損得を考えているのか、その両方なのか。。ただ、デモをある程度アメリカ軍およびその手先の機関にコントロールされているのではないかとも思います。一種のガス抜きとして。

あと、安室奈美恵とか新垣結衣とかをTVでみると、辺野古の問題とか、元米兵による強姦致死事件のことが頭をよぎるのは私だけではないはずです。ましてや、上原多香子の件など、「沖縄の女性は悪女で尻軽なので米兵に犯されてもしょうがない」という発想が一部で出てきてしまうのはしょうがないはずです。辺野古の問題が収束するまで、沖縄出身の女性芸能人は活動を控えたほうがいいのではないでしょうか? 慰安婦像の件もそうですが、一種のセカンドレイプではないでしょうか?沖縄の女性達は電通にもてあそばれているようにもみえます。。

そもそも安室奈美恵などは、言い方は悪いですが、子供がいるのに男とその家族に捨てられた哀れな女性なのです。私の娘がそういう目にあったら、世間の好奇の視線から保護し、相手の家族に復讐を計画します。(ま、娘はいませんけどね。)沖縄サミットまで駆り出された安室奈美恵が結局、人類館事件のようにさらし者になっていませんでしょうか?それなのに、沖縄の男性も女性もまるで、安室奈美恵を英雄扱いしている。。まあ男性側としては都合のいい女が増えるのはそれほど気分は悪くはないのですが、子供の未来や倫理的にどうなのかと。

いずれにしても 沖縄ユダヤ人説や平家沖縄人説から考えると沖縄の人の「性」についての価値観は非常に興味深いです。平家もユダヤ人も女性優位の社会なのだから。確か平家の祇園女御という女と後白河法皇の間にできて生まれた子供が平清盛だったはず。平忠盛はまさにカッコウの卵を育てたわけですが、そのおかげで平家は天皇にも匹敵する権力を手にしています。そこらへんのお話がどうも沖縄の人たちを彷彿とさせるわけです。

ちなみに祇園とはユダヤ用語でいうところのシオンではないかといわれています。ユダヤ人もエステルの玉の輿で権力を得ています。

修正:一部の方から女性蔑視との指摘があったため、一部の表現を修正しました。 こちら「安室奈美恵さんの闇について」と「とある沖縄県人による獅子さーの弁護(激白)」もご覧いただければ幸いです。

修正:ご指摘があり「大阪万博」を「人類館事件」に修正しました。これは1903年の話だったのですね。。現代の沖縄の人が問題視しているからてっきり戦後の話だと勘違いしていました。水平社運動よりずっと前の話だったのですね。。沖縄の人達にはぜひ部落問題について研究してもらいたいですね。日本は多民族国家であり、それはもうひどい差別と階級がある残酷な社会だったのですが、国をまとめるためにあえて忘れることにしたのです。

 

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